【小説】鏡の夜 都でこころ 交わりて(後編)

お店から東寺までは、少し早歩きで向かったら10分足らずで到着した。

 

門を潜り抜け、敷地内に入る。

辺りは変わらず漆黒の闇に覆われていたけれど、

遠くからでも、光に群がる人々の姿が見えた。

 

敷地内に敷かれた砂利道に、足の裏が懐かしい感覚を喜んでいるのを感じながらも、

その光の方に1歩1歩進んでいくと、闇の黒の中に、明るく照らされた紅葉の木々と、

その合間に顔を出すあの東寺、そしてそれらを写す水面が、目に飛び込んできた。

 

ああ。

 

その光景が、あまりにも美しくて、思わず息を飲む。

 

言葉に、できなかった。

 

しばらく茫然とそこに立ち尽くし、隣に彼がいることも忘れ、

ただただその光景が、勢いよく私の目に飛び込んでくるのを、静かに受け入れていた。

 

鮮やかで、少しオレンジがかった、赤色の紅葉。

白い光が当たって梨のような瑞々しい黄色をした紅葉。

 

赤や黄色の木々と一緒に光に照らされる東寺は、昼間見たそれの何倍も力強く、

重く、静かにそこに鎮座している。

 

その堂々とした姿は、私たちから言葉というものを奪うのに、

充分すぎるくらいの、力を持っていた。

 

そしてその姿は、漆黒の川の水に、まるきりそのまま、鏡のように映し出されている。

光に照らされる紅葉、だけでも充分綺麗なのに、水面に色とりどりの木葉と一緒に映る

東寺は、それらを立派な脇役に仕立ててしまうくらい、美しかった。

 

全く別々の世界が、ここで、ひとつになっているみたい。

 

ふと、そう思った。

 

実物と、水面に映るその姿。それらは、別々のものなのに、きちんと、両立している。

お互いがお互いを支え合って、初めて、この美しさを生み出しているんだ。

そのことは、初めて見た私でも、よくわかった。

 

肩の辺りに温もりを感じ、ふと我に帰って横を見ると、彼が、真剣な表情で、

目の前の景色をじっと見つめていた。よく見ると、その目が少し潤んでいるような

気がして、ああ、彼は今、きっと私と同じことを感じているんだ、と、なぜか直感した。

 

その時、私の身体の底の方からすっと、何かが蒸発していくような感覚があった。

今日1日、いや、もしかするとここ数年、彼に対して抱いていた、見えない距離からくる

寂しさや不安といった渦巻いた感情が、今、ここで、少しだけ形を変えたような気がした。

 

全く正反対の2人。私にはわからない、彼の世界。

 

どこかできっと、彼を分かりたい、そして自分を分かってほしい、という感情があった。

けれど、お互いがあまりにも違う世界を生きていて、交わることもなくて、

ずっと平行線で、それが、苦しかった。

忙しさを理由に見て見ぬふりをしていたけれど、本当は、彼と、

こうして、わかり合いたかったのかもしれない。

 

私たちの世界は、きっとこれからも全く違う色や形をしているのだろう。

けれど、それは決して平行線なんかじゃなくて、波のような、

緩やかな曲線なんじゃないだろうか。

その2本の線は、近づいたり遠ざかったりしながら、たまに、交点を持ったりする。

それでいいんじゃないか。いや、それが、いいんじゃないか。

 

私とは全く違う世界でひらひらと生きる彼が眩しくて、そんな彼を好きになったことを、

今、思い出した。思い出したら、また、目頭がじわりと熱くなった。

 

「あ…気付いたら、もうこんな時間だね。あと少しで閉館だ。」

 

暗闇の中でうすぼんやりと照らされる彼の表情がいつもより少し柔らかく見えて、

思わず目をつむって深呼吸をする。

 

後ろ髪を引かれながらも入り口にゆっくりと歩いていくと、

まもなく閉館です、とアナウンスが聞こえた。

 

「…来て、よかったね。」

 

東寺や紅葉を照らしていた光が、しゅん、と消えた。

いよいよ真っ暗な闇に包まれ、音も光も、全てがその闇に吸い込まれて行く。

 

「…寒いね。戻ろうか。」

 

私の言葉には何も返さずに、歩き出す彼。

 

態度は全く変わらないけれど、いつもより少しだけ、

その歩幅が小さいような気がした。

 

「コンビニ寄って、何かあったかいものでも買って行く?」

彼はそう付け足して、遠くに光る青と白の看板を指差した。

 

私はお豆腐とわかめの入ったなんの変哲もないお味噌汁、彼は「クルトン増量」と書かれたコーンポタージュを手に取り、レジに持っていく。相変わらず、正反対で笑ってしまう。

それでも今は、白いビニール袋に仲良く2つ収まっているこのカップスープたちが、

いつもとは違い、とても愛おしいもののように思えた。

 

宿に戻ると、昼間出るときに会ったあのカップルと再会した。

書庫の素晴らしさや食事の美味しさ、夜の東寺の美しさに心が大きくなっていた私は、

思わず「ハロー」なんて気軽に挨拶を口にしていた。

声に出した後、自分でも、驚く。彼を見ると、目を伏せているが、口元が少し笑っている。

 

部屋に戻ると、すぐに彼がポットでお湯を沸かし始める。

湯気がほわほわと部屋の中に充満し、次第に冷えた身体も温まってくる。

彼が自分のカップと私のカップにお湯を注いで、「熱いから気をつけて」と言いながら

カップを手渡してくれる。

 

こうして同じ空間で、並んで座って食事をする、というのは、なんだかとても

新鮮で、くすぐったくて、ふふふ、と声を漏らしてしまう。

 

ひと口ちょうだい、と言ったくせに、やっぱりこっちの方がいいやと自分のポタージュに

戻る彼の自由さに、やれやれと大袈裟に肩をすくめながら、ああ、やっぱりここへ来て

よかった、と思った。

 

 

翌朝、宿に隣接するヴィーガン対応のカフェが気になると言った彼に連れられて、

私たちはそこで、早めの朝食を取ることにした。

 

白とブラウンを基調とした、明るい店内。

オープンキッチンの形に沿ってカウンターがあり、椅子が並んでいる。

お店の奥の席には既に先客がいたので、私たちは手前の角の席に座ることにする。

 

カウンターに座ると、キッチンの中にいる優しそうな男性と目が合って、

お水とメニューを手渡された。

 

「え、なにこれ、可愛い。」

 

グラスの下に置かれたコースターは、丸くころんとしていて、野菜の絵が描かれていた。

 

「あ、それ、いろんな野菜のデザインがあるんですよ。お店のロゴマークがレンコン

なんですけど…コースターも野菜をモチーフにしたら遊び心があっていいなって思って。」

 

「ロゴマークがレンコンって、それもまた、可愛いらしいですね。」

 

「ありがとうございます。実は、このお店のスタッフやここへ来られたお客様同士が、

お互いに心の穴を埋め合って、助け合えるような関係になっていけたらいいな、

という想いを込めて、レンコンをモチーフにしているんです。」

 

「へえ…素敵なコンセプトですね。」

 

コースターの丸みに沿って木の感触を確かめながら、思わず微笑んでしまう。

ここへ来た時、私の心は、穴だらけだったなあ。でも、今はもう、きっと大丈夫。

 

「俺、これにしよ。クリームペンネ。」

 

横でメニューを眺めていた彼が、写真を指差して言う。

味噌と豆乳をベースにした、マイルドなペンネと書かれている。

 

「ええ、朝からよくそんなボリューミーなもの食べれるね。」

 

相変わらず洋食好きの彼に呆れながら、私もメニューを指差し、男性に声をかける。

 

「じゃあ、私はこの、ブッダボウルで。」

 

かしこまりました、と言ってにこやかに笑う男性はてきぱきとキッチンの中を動き、

しばらくすると、鮮やかなサラダボウルと、レモンクリームのいい匂いがする

ペンネが運ばれてきた。

 

「…あ。美味しい。」

 

「ヴィーガン」という言葉を知ってはいたものの実際に食べたことがなかった私は、

味気ない食事を想像していた。けれど、サラダボウルは見た目が鮮やかで、それだけでも

心が躍るような気持ちになったし、口に運んだそれは、しっかりと塩気が効いていて、

食べ応えも抜群だった。

 

「なんか、身体が元気になりそうな味。」

 

その言葉が聞こえたのか、カウンターの向こうから、男性がありがとうございます、

と言って笑う。

 

さっきは彼に呆れていたものの、ペンネのいい香りに負けてひと口もらうと、

それがまた想像以上に美味しくて、止まらない私の手を見ながら、彼が軽やかに笑った。

 

朝の柔らかい光が私たちを包み込み、背中がぽかぽかとあたたかかった。

 

 

軽い腹ごしらえのつもりが、随分長居をしてしまった。

外に出て、両手を挙げ背伸びをする。

 

いよいよ、東寺とも、お別れだ。

 

宿を出て大通りに出る。左に曲がると、朝の東寺がぬっと現れた。

昨日の夜の、全てを飲み込んでしまうような荘厳さは少し薄れ、

明るい陽の光に包まれる東寺は、なんだか少し、柔らかく見えた。

 

最後の東寺を目に焼き付けるようにじっと見つめていたら、彼が横で何かつぶやいた。

 

「…に、また来たいね。」

 

「え?何か言った?」

 

まだ夜の冷たさが残る、けれどほんのりあたたかさを含んだ柔らかい朝の風が、

私たちの間を、ふわりと通り抜ける。

 

「…だから。春に、また来たいねって。」

 

拗ねたようにそっぽを向き、スーツケースを引いて先に行こうとする彼の表情が、

ここへ来た時よりも少しだけ優しく見えた。

 

それは私の気のせいだったかもしれないし、朝の光のせいだったかもしれないけれど、

そんなことはもう、どうでもよかった。

 

緩む口元が彼に気づかれないように、私は心の中で、

東寺に、この町に、ありがとう、春になったらまた来るね、とつぶやいた。

 

 

終わり

 

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作中に登場する民泊・お店は、こちら。

■ Kamon Inn Toji Higashi

京都を中心に、地域に密着しながら展開する分散型民泊。

ここKamon Inn Tojiエリアでは、「交舎」をコンセプトに運営。

■ べじかふぇwo’s

Kamon Inn Toji Higashiに隣接する、ヴィーガンに対応したメニューを提供するカフェ。
「働く女性のフォースプレイス」を目指し、女性のために健康的な食生活をコーディネートすることをコンセプトとして運営している。

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注: 本ストーリーは、2019年12月時点の情報をもとに作成しています。          

(東寺の境内ライトアップは春季、秋季の特別期間のみ実施。)

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