僕がゲストハウス経営をするまで / 秋元慎太郎の人生Story

 

▼秋元慎太郎プロフィール

1985年生まれ、神奈川県川崎市出身。

京都ゲストハウス 「Kamon Inn」

統括責任者 COO

現在、「Kamon Inn」グループ10棟を経営。

 


大きなキッカケはオーストラリアでの

シェアハウスでの滞在


 

 

Q:秋元さんは今、京都でゲストハウス、旅館業を経営されていますが、
こういった複数人で過ごす文化とはいつ出会ったんでしょうか?

▼秋元
25歳の時に、オーストラリアで住んでいたんですけど、その時にシェアハウスで生活していたんです。
日本ではまだまだシェアハウスとか
ゲストハウスっていう文化がない時代でしたね。
オーストラリアでは複数人で暮らすライフスタイルがあって。日中はそれぞれ語学学校に行ってバイトに行って、、、
夜帰って来てからその日のことを話したりするのが楽しかったです。

 


秋元慎太郎の幼少期〜学生時代


Q:なるほど、昔から英語が得意だったとか?

 

▼秋元
いえ、ぼくは学校の授業が大嫌いだったんです。
小学校1年生の時に、先生に「これ答えられるかな?」と言われて固まっちゃったんですね。泣いてしまって(笑)

 

 

▼秋元
そしたら先生が「もういいよ、座ってください」と言われたんですけど、人前でしゃべるのが苦手でしたね。

小学校4年からは「キャプテン翼」をよく見てたこともあって少年サッカークラブにも入ってました。

友達と遊ぶときは全然活発に話せるんですけど、授業中はダメでしたね。

あの拘束されてる感じが苦手で、、、中学校、高校に入っても、授業中はトランプをしたり…。英語の授業も文法のあの型にハマった感じが楽しくなかったんです。

「秋元」の「あ」だから、何かにつけて当てられるんですよね。出席番号1番だから(苦笑)

 

Q:学生生活は、ずっとサッカーを?
バイトとかはしてたんですか?

 

▼秋元
サッカーは、中学校2年生になる前にやめました。友達とゲームをしてる方が楽しかったんです。

マリオとかよくやってましたね。

あ、でも高校時代のバイトは・・・結構変わったことをしてましたよ。

父が自営業でエアコン屋なんですけど、ぼくも夏休みとか長期の休みはエアコンの取り付けや外したりしてましたね。

「アパートとかの10棟分外しといて」って言われたら、全部外して10万円くらい稼いだりしてました。

同級生は飲食店とかファーストフードでバイトしてましたけど。

ここで自営業的感覚を身につけて、、、とにかく自由・マイペースな学生でした。

 

Q:じゃあ両親はあまり厳しくなかったんですか?

 

▼秋元
そうですね!

父は物静かで月、母が太陽みたいなよく話す人で(笑)

厳しくはなかったですね。自由で、

「後悔する生き方はするな」という父でした。

 

 


憧れから英会話を始めて経験した挫折


 

Q:高校卒業後は、大学には?

 

▼秋元
行かなかったです。高校の仲良い友達に誘われて、生協の個人宅配をしてました。

バイトですけど、1.5tのトラックで川崎市内で運んでましたね。アルバイトなのに30万円ほどもらえたんです。

実家暮らしだったので、この時にBMWの車を買いました。憧れで買っちゃったんです。

みんなビックリしてましたね。でも、「このままここでアルバイトしていて良いのかな?」

っていう疑問がわいてきて、、、20の時に辞めました。

 

Q:そのあとは何をしていたんですか?

 

▼秋元
「自分には特技がないなぁ」と思って、英会話を学びにNOVAに駅前留学に行くことにしたんです。

そのお金を払うのにBMWを売って…。そのあと、ロンドンに二週間ホームステイするんですけど、その時は悲惨でしたね。

 

Q:本場のロンドンではうまく話せなかったんですか?

 

▼秋元
そうです。早口だし、発音も違うし、聴き取るのが難しくて…。あまりに話せないので部屋に閉じこもってました。

観光で回るぐらいしかできなくて、写真は撮ってましたね。

帰ったら「ロンドン行ってきたんだ」みたいな。挫折でした。

それから、「リベンジしたい!」と思うようになって、医薬品配達の契約社員をしながら

NOVAに通ってたんですけど、NOVAが倒産しちゃって…。

そのあとは、GABAっていうマンツーマンで英会話トレーニングができるところに切り替えてがんばってました。

そのあと25歳からオーストラリアへ行くことになります。

 


オーストラリアで手に入れたもの


 

Q:なんでオーストラリアを選んだんですか?

 

▼秋元
当時、「アメリカ」っていうと、雲の上のように感じてたんですね。「今じゃないな」と思って、、、

そうなると、寒いカナダかあったかくて海がキレイなオーストラリアかっていう選択肢になって。

それで「長期だしオーストラリアにしよう!」と思ってたんです。だから

GABAのインストラクターもオーストラリアの人にして、現地の話もしっかり聞いてたんです。

 

Q:実際にオーストラリアに行ったときは、どうでしたか?

 

▼秋元
めっちゃ楽しかったです!

毎日新鮮でした。学校でも家でもずっと英語の日々で。

オーストラリアに住んで2ヶ月でタイ人の彼女と付き合って、シェアハウスで暮らすようになるんですけど、

昔は授業中に全然話せなかったぼくだったけど、彼女と向き合って話すうちに自己表現量がすごくアップしてたんですよね。

トータル1年、今につながる大事なの経験です。

 


日本帰国後、紆余曲折の20代後半


 

Q:帰国後はどんな仕事をしてたんですか?

 

▼秋元
それがですね、レンタカー屋さんでバイトしてたんです。英会話関係ないですね(笑)

タイ人の彼女も日本に来て、半年間同棲してたんですけど、いろいろあってモメて別れました。

そのあと、27歳の時に、小・中学校の幼馴染の彼女と付き合うようになるんですけど、

彼女は結婚適齢期ということで、結婚も視野に入れて「正社員として就職してほしい」

という希望があって、リフォーム屋の営業マンとして働くようになりました。

 

 

▼秋元
でも、ぼくは日勤、彼女は夜勤だったので、彼女のライフスタイルに合わせてたんですね。

仕事が終わったら彼女の仕事が終わる25時くらいまで仮眠してそこからご飯を食べに行ったりして、

5時くらいに寝て、ぼくはまた起きて日勤に行くという生活を3ヶ月くらい続けたんですけど、

ある日、体調を壊してしまったんです。

実家でケータイを打って「よっ」と立ち上がったら息ができないくらいに。

それから1年間くらい通院してました。

でも、働かないと負の連鎖がやってくるんですよね。

もともと話すのが好きなので(笑)

70%にセーブしつつも、世に出て人と話してやっていこうと少しずつ思えるようになって、

料理が好きだったので飲食店(ビストロ)で働くことにしました。

 

Q:飲食店勤務ですか?ガラッと変わりますね。

 

▼秋元
それがオーナーから言われて店長として勤務していたんです。

経営の経験は全くなかったんですけどね。

あと、キッチンで料理を作ることを希望してたんですけど、「フロアに入ってくれ」ということで…。

でも、それが良かったんです。いろんなお客さんと話す中で、いろんな生き方があるんだなと思えたし。

あと、ビストロだったのでソムリエの試験勉強をしてたので、そういう話題もお客さんと話せて楽しかったですね。

 


京都には、幼少期のおばあちゃんとの思い出があった


 

Q:なぜ秋元さんは、京都で旅館業を経営するようになったんですか?

 

▼秋元
25歳でオーストラリアに住んでる時、日本食レストランでバイトをしてたんですけど、

そこでうちの会社(株式会社いろは)の社長の三浦さんも働いていたんです。そのご縁ですね。

31歳、2016年の年末に、さっき話したビストロの飲食店を辞めた時に、

ちょうどオーストラリアで一緒に日本食レストランで働いていた三浦さんも退職していて…

「年末だし、うちに飲みにおいでよ」と誘ってもらったんですね。

その時に、「実は、11月2日に株式会社いろは起業をしたんだ」と言われまして。

その時に「会社で一緒に働いてくれないか?」と。

その時はお酒も入ってたので、後日、会社の事務所(東京神宮前)に行って詳細を聞いて。

そしたら「信頼おける慎太郎に、京都を担当してほしい。本当は俺が行きたいんだけどさ」ということだったんです。

ぼくは子どもの頃におばあちゃんと毎年京都に旅行に来ていて、良い思い出があったし、

「新しい環境に身を置こう!」ということで、心機一転、京都にやって来たんです。

 


点が全てつながり、天職と出会えた


 

Q:なるほど。そういうことだったんですね。実際にゲストハウス経営をしてみてどう感じましたか?

 

▼秋元
これまでの人生を振り返ってみて、英会話・留学経験や、トラック運転手、

飲食店経営をしていた経験が全てピタッとつながったんですよね。

京都で旅館業をしていますが、海外観光客人にも会えるし、各地域を車で移動したり、

料理をふるまったり…。これはまさにぼくの天職だなと…。

2月14日に株式会社いろはに入社しました。

 

▼秋元
「Kamon Inn」は、不動産オーナーの方々と一緒に展開してるんですけど、株式会社いろはとしても、

オーナーのみなさんの気持ちを理解したり、当事者意識をしっかり持つ意味で、

「Kamon Inn Toji Higashi」は直経営しているので個人的にはものすごく思い入れがあります。

 

 

▼「Kamon Inn Toji Higashi」外観

 

▼共用部

▼ルームA

▼ルームB

▼ルームC

 

▼秋元
みんなで1つになって京都を盛り上げていきたいです。

 


今後の夢・目標


 

▼秋元
今、旅館業をしていますけど、「新しい体験」ができる宿泊を提供していきたいんですね。

京都の地域の方々とつながって、違う地域からやってきた人たちをみんなで受け入れていく。

「Kamon Inn」は今10棟あるんですけど、

各エリアでそういうコミュニティを作っていきたいです。

工務店経営をしている下地さんの話で印象に残っているのが、

「京都の人たちはつながりをものすごく大事にする、人とのつながりなくして事業はできない」

ということ。まさにそうだなと。

地域の人お一人お一人向き合っていって、「京都にはこんな良いところがあるよ」とか

「商品があるよ」だけじゃなくて、「こんな人たちがいるよ!会いにおいでよ!」って

日本国内や海外に伝えられる「Kamon Inn」のメディアの運営をしていきたいです。

商品・サービスのラインナップだけじゃなくて、これを作り出している人たちのストーリーを
記事や動画で連載で伝えていきたいし、EC(通販)サイトとしても、国内外に発信していけたらなと。

みんなで京都・日本の文化を伝えていけたら最高です。

これからの展開にとてもワクワクしています!

 

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